プロフィール

Author:Mark&Maki
*Mark*
アイオワ州出身シリアル大好き
アメリカ人。日本在住6年目突入。

趣味:スポーツ(アメフト)、読書
好きなもの:聖書、ギター、Maki(妻)

*Maki*
日本生まれ日本育ちの日本人。
アメリカンとジャパニーズの
いいとこどりを目指している。

趣味:料理&お菓子作り、読書
好きなもの:聖書、映画、Mark(夫)

6月に待望の長男☆望有(ノア)誕生♪
あまりにかわいすぎて、親バカ街道
まっしぐらの2人。ベビーサインと
ホームスクールをしようかと考え中。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

リンク

ブログ内検索

心を養う

今日は絶好の天気の中、大学時代からの友達と植物園にお出かけ。
(女の子ばっかやったから、マークはお留守番するって・・・)
ご機嫌ナナメ気味の坊ややったけど、神様の造った素晴らしい創造物を楽しめて
よかったよ。

さてさて、今日のネタは、ホームスクーリングというよりは育児全般の話。

先日、教会で小学低学年の女の子と話をしている時、
ひょんなことから、「兄弟喧嘩」の話になった。

3つ上のお姉ちゃんと結構激しくバトルする、とのこと。
ま、うちも4人兄弟で育ち、そんなことは日常茶飯事やったから特に驚かない。

でも驚いたのは、彼らがわざと親の前で喧嘩をしないこと!!
(もちろんする時もあるやろうけど)

喧嘩をしてる最中、親の足音が聞こえるや否や、何事もなかったかのように
ふるまい、親がいなくなった途端再びバトルを再開するらしい。

なぜそうするかと言えば、喧嘩をした罰(お菓子抜きやテレビなしなど)が
嫌だから。だから、罰を与えない人(例えばおばあちゃんなど)の前では
喧嘩をする。

全部計算した上での行動。

話を聞く限りでは、彼らの両親が与える「罰」はある程度の範囲の行動修正は
できているかもしれない。でも、肝心の「心」はどの方向に向かっているんやろか、
と考えてみた。

うちはクリスチャンホーム出身じゃないから分からへんけど、よく聞く話と
しては、クリスチャンホームで育った子は、少なくとも外見上はいい子に
振る舞おうとする子が多いらしい。(もちろんあからさまに反抗する子も
おるやろうけど)

正しいことの基準を知ってるし、守らなかったら罰が来る。
でもとりあえず、いい子に行動してたらおとがめもない。
忙しい親としても、言うことを聞いてくれる子供の方がいい。

でも、イエス様はそんな外側だけ白く塗った墓石のような偽物の美しさが
大嫌い。神様は外見よりも心を見られる。

子育てで最も重要なこと、そして一番難しいことは、その子供の行動を
変えることではなく、「心」を正しい方向、神様を愛し従う心に導くこと
なんやろうな、と思う。

これは、出産後に読んだ本「親と子のコミュニケーション」By テッド トリップ
で学んだこと。
うちはこれを読んで、育児に対する考え方がめっちゃ変わったし、もっと
楽しめるようになった気がする。
原題は、Shepherding a Child's Heart。そう、子供の「心」を導く羊飼いのような
役目が親の仕事なんだって。

育児のゴールは全部神様の栄光。神様中心の人生を歩みたいと子供が自発的に
思ってくれるような働きかけをするのが育児。

子供が親に従順であるようにしつけるのは、親が楽をしたり、自慢の子を持つため
ではなく、神様が命令されていることだから。
そして、その命令はいのちを与える。
親も神様の権威の下で育児をする。見るべきところは全部神様。
神様からの命令であるが故、神様の助け、導きもある。


頭で分かってたつもりやったけど、全然分かってなかったこんな色々なことが
一本の線につながるのを助けてくれた爽快本。

マジ、全ての子供を持つ親に読んでもらいたい。

でも、本を読むのが嫌いなそこのア・ナ・タ!(きもい?w)に朗報です。

この本の作者テッドトリップが5月に奥さんと共に来日しまーす。
関西と関東にて、チアにっぽん主催のセミナー開催予定。
ぜひぜひ足を運んでみて下さい。

関西 5月23日(金)・24日(土) 生駒聖書学院(奈良)

関東 5月30日(金)・31日(土)国立オリンピック青少年センター

詳しくは→チアにっぽん


理想や希望は膨らむものの、経験ゼロのホームスクーラー予備軍MJM。
もっと幅広い知識と知恵と情報、現状を先輩方から学びまくりたいと意気込んでおります。


次回は、主婦と若い人(特に男性)に向けた話を書く予定。
ん?主婦と若い男性の共通点とは・・・?
相変わらずこじつけ満載の記事をお楽しみに〜

テーマ : 行事・イベント - ジャンル : 育児

光が輝くには時間が必要。

昨日あんだけ偉そうに「夫婦、子供が一番!」なんて言っといて、さっそく神様は
うちのその宣言が実行を伴ってないことを示してくれてる。(涙)


やっぱ自分が楽しむことが一番!って誘惑はいつも付きまとってるんやんなぁ。
今日は実家で食事した後、あるゲームをみんなでしだした。
そのゲームがおもしろいだけでなく、時間を競うゲームなだけに負けず嫌いのうちは
授乳中(終わりかけやったけど)やったにも関わらず、「お姉ちゃん!ちょっと見といて!」
なんて言ってノアを押しのけゲームに熱中。
両親は呆れ顔やったわ・・・。

で、そのゲーム。これな、一回やり始めたら最低10分はみんな絶対はまるで!
その名も「ぷちぷちゲーム」Bubble Wrap

さぁ、みなさんもどうぞ〜

今日の話は「HSをすることによってノンクリスチャンとの接点なくなるんちゃう?
神様のことを伝える機会が少なくなるやん!」
ってこと疑問の声に対する
うちの考え。

ま、あくまでうちの考えやし、反論や他の考え方もきっとあるんやろうけどね。
そんなコメントもお待ちしてま〜す


確かに、子供が家庭や教会という枠を出て他の世界にでると、神様のことを知らない
たくさんの人達と触れ合う機会が増える。
うちの友達も、子供が公立学校に通った時から、同世代の子供を持つ近所の人たち、
同じクラスの保護者の人達と知り合いになれた。同時に、その子供自身も今の時代には
びっくりするくらい素直でいい子。人気者になった彼が教会に行ってるって知ったら
多くの友達も、またその両親も教会に足を運ぶこともあるんやろうな。

こんな話を聞いてると、「確かに学校に行くと証をする機会も増えるんやろな。」と思う。


でも、うちは「子供が長い目で見てよいキリストの証人になるために、じっくり時間をかけて
熟成させてからデビューさせたい」
と思ってる。


子供ってさ、(実は子供だけでなく大人も!)周りにすんごい影響されやすいねんな。
かっこいい子が持ってるかっこいいもの。かわいい子が持ってるかわいいもの。
クラスの人気者の子がしていること、言ってること…そんなことが欲しくて、マネしたくて
みんなに仲間外れにされへんように必死。恐ろしいほどのプレッシャーやと思うよ。
うちの子供時代とは比べられへんほど、今の事態は深刻やと思う。

小学校1年生の子供を持つうちの友達が言ってたけど、最近では1年生であっても
DSやWIIとかのコンピューターゲームを持ってへんと友達と遊んでもらえへんことも
あるらしい。特に男の世界では。

何、ソレ? それ、ヒドイデショー。
それが友達の輪をつなぐもんなんや。それって「友達か・・・」。

だから学校から帰ったら言うねんな。

「みんな○○○○持ってるし、僕(私)も買って〜」
「だって、○○君(ちゃん)もしてたで〜」

何がいいか、悪いか、じゃなく「みんなが持ってるから、してるから。」を
基準に行動するようになったら、聖書の基準なんてなくなっちゃう。

もちろんそうなってきたら、家で諭し、教えることはできるやろう。でもな、
その葛藤の中で生き続けてると、時に子供は「ダブルスタンダード」(2つの基準)
で生きることもあるみたい。

外ではみんなに合わせて悪いことをしてても、家や教会では言うことを聞くいい子
ちゃん。何が真理かもわからんくなって混乱もする。

だってさ、日本では(特に学校)「みんなと同じことをする=協調性がある」
ってな価値観やろ?個人の意見や方法なんて認められへん世界やん。 
KYなんて言葉があるくらい、相手がどう思ってるか気にして、顔色を伺いながら
ビクビクして自分を形成せなあかん社会。
(相手を気遣うって意味では素晴らしい日本の文化やけどさ)

も〜大人でも疲れる

小学6年(中1やったかな?)からHSを始めたうちの友達がこう言ってた。


「もし私が学校辞めてHSしてないんやったらきっと今の信仰持ってないと思う。
 子供の信仰って堅く育つまでに時間が掛かるし、周りの子供に影響されやすい。
 しっかり信仰育ってから外にでても遅くないと思う。」って。

うちもそう思う。
子供の信仰レベル、成熟さに応じて、外との接点を増やして行き、責任を教え、
よい証人となる実質訓練をする比例式でいいと思うねんな。
だってさ、6歳でみんな一斉に小学校上がっても、それぞれの成長って
マチマチやん?

カンガルーの赤ちゃんだって、大きくなるまでママのお腹ん中やで。
(あ、関係ないかw)

うちもクリスチャンになってからの約4年間はほぼクリスチャンだらけの環境の
中で育った。甘ちゃんになったと言えばなったけど、同時に神様に対しての
信仰、信頼は堅く築かれたと思う。(もちろん充分ではないけどさ)

卒業して、ちょっとだけ外に出て(社会人ほど辛くはないと思うけど)色々
びっくりすることも、落ち込むことも、傷つくこともあった。でもその試練に
神様への「信仰」を持って立ち向かうことができたことはほんまに感謝してる。

だってさ、武器も持たさず、戦術訓練もせず、兵士を戦争に送り出す国なんて
ないやろ?経済的ピンチならするかもしれんけど、でももしそんなことしたら、
誰の目から見ても結果は明らか。

この世は霊的戦争やで?よーーーーーーーーーーーーーーーーく、うちは
忘れてるけど。
悪魔は吠えたける獅子のように、食い尽くすべき獲物がないかウロウロしてる。

悪魔が一番攻撃するのは、きっとクリスチャンホームやと思う。
だって、そこから信仰を持つ子供がウヨウヨ出て来ると困るから、根源から
抹消しようと総攻撃をかけてくるよ。前述のビッキーさんとこは子供が10人。
で、みーんなクリスチャンになって、またその子供(多分ファリス一家は
多産やと思うから少なくとも×3)がクリスチャンになったら、もう30人は
少なくともイエス様の弟子や。

ノンクリスチャンとの結婚でもそう。神様が真ん中におらん霊的に一致のない
結婚カップルが増えたら、その先の「光の子供」出現を押さえることもできる。
(まーこれについてもまたいつか・・・。これだけなら誤解を招く発言かも
 しれんからね)

ちょっと話ずれたけど、とにかく、子供を戦場に送り出すんやったら、それ
なりに訓練してからじゃないとあかんと思う。(あ、霊的にね)

最後に、ソビエト連邦の地下教会での話。

自由議会財団の創設者であるポール・ウェイリッチが長い間共産主義に埋もれて
いたソビエト連邦を訪れた。
彼はこう証する。

「私は最近、かつてソビエト連邦だった国を訪れ、力を取り戻したキリスト
 教会を見て来ました。かつでは年老いた女性しかいなかった教会が、いまや
 若者たちで満ちています。そこで幾人かの若者たちに聞いてみた。

 『あれだけの共産主義のもとにあったのに、なぜあなたがたは、
  クリスチャンになることができたのですか。』するとすべての若者が
  同じ答え『私の祖母からです。』と答えたのだ。国が全体が『神は
  いない』と叫ぶ共産主義者の声を聞いているときに、耳元でささやく
  祖母の声を聞いていたのです。『私たちがクリスチャンだということを
  忘れてはなりませんよ。神はいるのです。そして私たちは神を信じて
  いるのです。』
と。」

彼はこう付け加えた。

「ロシアの教会は共産主義という困難な体制の下に、長い年月にわたって
 ひっそりと潜んできました。やがてその腐った外枠が崩れ去ると、すぐさま
 教会はその光を輝かせ、空虚な文化を満たしたのです。」



準備が整った若者(また若者って言ってるって誰かに指摘されそうやけどw)は
どんどん外に出たらいい。
でも、芽生えたばかりのつぼみを一気に温度差の高い外に出すと枯れちゃう
花のように、温かい環境の中でじっくりと育て、美しい花を咲かせてから、人を
楽しませるって方法もあるんちゃうかな、と思うマキでした。

あ〜今日も長いね。ごめんなさい。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
↑キリストの光が暗闇に輝くために、ご協力お願いします

おかんの犠牲とプレゼント。

昨日(か一昨日)タスク君のブログでなんと、このブログが紹介された!「ぶれいく間近なぶろぐ」

タスク君がこのブログを好きな理由の80%は「関西弁」な気がするのは
うちだけか?w でもとにかく感謝!!
 
さすが人気者タスク君。昨日の訪問者数は過去最高280人!ちょっと焦った。
今までこのブログを読んでくれてた人からしたら
「めっちゃ更新頻度あがってるやん!」
って感じなんやろうな。前は1ヶ月に2回平均やったし。w 久々に訪問したら
「あれ?」ってな勢いで読んでもらわなあかんな。すみません・・・w

たくさんの人が見てくれてる間に温めてたネタをどんどん更新していかな!って
刺激されてるわ〜。

ま、とりあえず、昨日書いてた記事の続きを更新。

↓こっから。

でもさ、正直外で活躍して、たっくさんの人を救いに導く方がかっこいいよな。
周りからも評価もらえるし、自分のしてることも認めてもらえる。
(ミニストリーにとどまらず、家庭以外での仕事はなんでも)

家庭にはいって、ましてや、HSなんかしてたら教会での奉仕なんかしてる暇
あるんかいなって感じやと思う。でもな、

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて
死ななければ、それは一つのままです。しかも、もし死ねば、豊かな実を
結びます。自のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者は
それを保って永遠のいのちに至るのです。ヨハネ12:24、25」


「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、
 喜び叫びながら帰って来る。詩篇126:5,6」

↑こうやって神様はうちらに約束してくれてるんやから、今すぐ目に見える
「報い」よりも永遠に続く何十倍もの実りを求めて行きたいって思うねん。

で、うちにとっては、それを実践するものの一つがHSやねんな。

うちは「教会での奉仕が忙しい・・・」
   「他に必要を抱えてる人がたくさんいるから・・・」っていう理由で
HSをしない(祈ることすらしない)のはほっんまに悲しいと思うし、
それって「THE 言い訳」やんって思ってしまう。
(他に理由あるなら分かるけど)

なんて言ってるけど、うちが今払ってる犠牲なんてプチぎせいみたいなもんやな。
まだまだ・・・。

なにしろ、こうやって自分のパッションをブログを通して伝えることが
できてること自体恵みやと思ってる。「母なるあなたに」を書いたビッキー・ファリスさんは
10人の子供(全員HS)のママ&弁護士やらなんやらしてる超忙しい
旦那さんの妻であるがゆえに何人もの人からアドバイスが欲しい、
話を聞きたいと願ってる人達のために充分時間を割く事ができないし、結局
本を書くにしても娘さんに代筆してもらわなあかんくらいのスーパー多忙な人だ。

なら、うちはまだまだいけるなっ!!ってか、別にうちは誰にもアドバイス
求められてへんのに、こんなに熱く書いてるんやけどさ。

でもほんまに彼女の証は、彼女の生き方そのものやし、その犠牲は彼女の10人の
子供たちが世界に広がって実を至るところでばらまいてくれるはず!

もちろん、10人じゃなくとも1人でも。

世界的に超有名なエリザベス・エリオットが

「・・・私の人生に与えられたすべての賜物(私の経歴や仕事や他のすべての賜物)
 の中で、私にとって母となることよりも尊くかけがえのない賜物はありません。

なんて言ってんのはめちゃ励ましになる。
しかも彼女の子供は1人だけ。

フェミニズムの波が押し寄せてる現代にあって、どんどん(いい意味で)
家庭に逆流するムーブメントを起こすのがうちの野望。

まだ子供いない人、ってか結婚してない人、彼氏・彼女もまだ神様が用意して
くれてる段階の人でも、今から祈ってって欲しいな。
このビジョンが与えられたら、「まだ早い」といわずどんどん情報集めしてこ〜。

今若者の間でかなりクリスチャンが増えてるみたいやけど(10代で7%とか!)
その次の世代のために、さらに若い(ってかまだ産まれてもない)子たちに
光の道を示してあげたいな。

「え、でも、HSやったらノンクリと接する機会なくなって、この暗闇の世界に
 光ともらんやん。」って疑問を持つ人。
うちもそう思ってた。でも今は別の考えが与えられてる。

その続きは、また今度。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ
↑クリックせなポイントつかへんってこと今まで知らんかった!というわけで
 8秒くらいうちに下さい。

何に犠牲を払う?

なんやかんやしてる間に、ノア坊やが産まれてもうすぐ8ヶ月。(2月17日で)
正直、めっちゃ楽しい8ヶ月間やった。
「育児は大変っ」ていうマイナスイメージも吹き飛んだ、なんてことはないけど
でもその大変さ以上に喜び&祝福倍増やと思うわ。

ノアは今、一人で座れるだけでなく、産まれたての子鹿のように一人で立とうと
お尻をあげて練習中。って、あなた「ハイハイ」が先やろって突っ込みたくなる
くらい立つのが好きな坊や。支えなしで3秒くらい立てますw。
ダ行が好きなんやけど、最近マークを見て意図的に「ダダ」or「ダディー」と
言ってるんじゃないかと親バカながら思う。
調子が良ければ「Hi」や「 Hey」なんかも。。。

でも、マミーBoyのはずやのに、マ行はいっさいなし。w ま、気長に待と。

えっと、今日はHSもというちの子育てポリシーについて(理想論とも言う)


前もちらっと書いたと思うけど、(「父親の役割」)うちら夫婦のミニストリーの
優先順位は夫婦関係→子供→お互いの家族→神様がうちらに重荷を与えられた
人達(教会でのミニストリーとかも)やねんな。


だから、うちはいくらミニストリーが好きで、もっとチャペルで奉仕したいと
思っても(またプレッシャーが与えられても)マークやノアに影響がでない
程度にしたい、と思ってる。でも正直、活動的でアイデアマンのうちにとったら
難しい時もある。(これについてはまたいつか話せたらいいけどね。)

ある人は子供のミニストリーに集中してる間に、何人もの人に神様のことを
伝えれる機会失ってるんちゃうん?って思うかもしれへん。

でも、次の話を聞いて欲しい。

1800年代、アメリカでビリー・サンデーという説教者(牧師?)が
人気を博してた。彼の説教は何百万人という人に聞かれ、何十万もの人が
救いに導かれ、(正確な数字は調査中。)社会にも影響を及ぼし、元大リーガー
ならではの大胆な説教に聴衆は酔いしれた。

でも、彼の2人の息子が犯罪を犯し刑務所に入った、と伝えられた日から
彼の人気は急降下。

彼が聴衆に伝える「愛」に説得力がなくなったからやねんて。

でも、彼の第一子の娘はクリスチャンだ。

この違いはどこから来るんやろうか?

聞くところによると、彼は人気が出て忙しくなる前、たっくさんの時間を
娘と過ごしたそうだ。でもミニストリーで忙しくなったので、
彼は2人の息子を寮生の学校に送ったんだって。

もう一つの話は、ファミリーフォーカスのジェームズドブソンさんの生い立ちから。

彼の父親も同じく人気のある説教者で全米各地を飛び回る忙しい生活を送って
いたみたい。
でも、ある日ドブソンさんの粗暴の悪さに耐えきれなくなった母親が旦那さんに
電話をかけ

「もう我慢出来ないわ。帰って来てちょうだい!」って訴えた。

その日からドブソンさんの父親は、決まっていた講演などの仕事を全部キャンセルし、遠くでの仕事は断るようになり、家族と近くで生活できるような環境を
作ったんやって。

数年後、父親が仕事に本格復帰した時にはもう彼の人気はなくなっていたそうだ。

彼の払った犠牲は大きかったみたい・・・。

でも!その犠牲からもらえる報酬の実は、その払った犠牲以上に膨れ上がってると
断言できる。
彼の息子ドブソンさんの書いた本、講演ビデオなんかで祝福をうけてるのは
うちだけじゃないはずや。

ドブソンさんはよく「今の自分がいるのは『父親』のおかげ。」と言ってる。
彼の父親は、イエス様が示す「ほんものの愛」のお手本を示してくれたんやろうね、
きっと。

最初に出て来たビリー・サンデーとドブソンさんの父親。
どちらも神様を愛し、神様に仕えていた人達だ。

でもその働きの実は違ってた。

時間も確かに大切やろうけど、それ以上に「どこに犠牲を払うのか」という
優先順位の違いがこの差を出したんかなって思う。

もちろん子供も自発的に反応する人間で。救いの最終的責任者は神様やと思う。


でも、うちの去年のベストセラーやった「いばらの生け垣」の作者ジョーキャロルが
言うように

「僕が歩むべき道を進むようにと訓練するために、適切なしつけと、信仰の教え
 など、あらゆる方法が用いられ、両親は、模範的な生き方を僕に示すことに
 よって、神の前における責任を果たしました。ですから、僕が終わりの日に 
 自分への割り当ての地に立っていないなら、僕が受ける有罪宣告は、より
 厳しいものになるでしょう。」

というように、「神様から与えられた仕事の最善を」子供に尽くすことが
何よりも一番重大な使命なんちゃうかなって思う。

あ、また長くなっちゃったし、続きはまた今度。

下書き機能&予約投稿機能にほんまに感謝や〜。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教・クリスチャンへ

テーマ : 伝えたいこと - ジャンル : ブログ

なんでホームスクーリングじゃないとあかんの?

なんでわざわざ大変やのに、子供を学校に行かさずに家で教えるの?
親に依存し過ぎるようになるんちゃう?
やっぱりずっと家にいたらかわいそう。
同世代の子供と過ごせないと健全な人格が形成されへんよ。
教える資格あるん?
将来どうするん?ちゃんと就職できるん?
ま〜これはその「母親の賜物」もしくは「子供の性格次第」やね。
教える自信ないし、私には無理やわ。


などなど、これらは、ホームスクールを考えてる人に向けられる質問&反応
でよく聞く言葉特集である。
実際うちも言われたことあるし、先輩ホームスクーラー達も直面してきた。

今日これら全てに答えることはしないし、もちろん全ての答えも持ってない
けど、いつか追々話していけたらな、と思う。
ついでに言うと、うちはホームスクーリング(略HS)をする事に対しての
「質問・疑問」は大歓迎。
だって、うちのビジョンや考えを話せるいい機会やし、第三者からの客観的な
指摘もあれば、うちもじっくり考え、祈ることもできるしね。
一番悲しいのは、「あ、私にはその賜物がないから」・・・終了
だったりする。


じゃあ、まずうちらのHSのゴールは何か。

第一に、キリストの弟子に育てる。
(案外、HSしながら親が弟子にさせられるもんやと思うけどw)

第二に、福音を携え世界に出て行く者に育てる。

第三に、キリストの愛によって家族の絆を深める。

(って、なんかこれうちのチャペルのビジョンステートメントみたいやわ。)

ほら、ここまで書いたら「あ、うちもそうそう!」って共感してもらえる人多い
やろ?

もちろんこれらは子供が学校に通っていてもできないことじゃない。
実際今活躍しているほとんどの日本のいわゆる第二世クリスチャンは
HSじゃないと思う。

でもな、うちは

「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを
口ずさまなければならない。・・・ヨシュア1:8」

「・・・主は私たちの神。
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、あなたの神、主を愛しなさい。
私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっている
ときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。
申命記6:4−7」


という箇所をみたら、親にこそ子どもを霊的に訓練し、導く責任が与えられている
ように思うねんな。(最終的な権威を持った責任者ってことね。)
学校の先生や、牧師、SSの先生ではなく。

で、それを実行するには、日々一緒に時間を過ごす中で、御言葉を学び
教え、実践(適応)することができるんちゃうかなって思うようになった。
学校に行くと、朝8時から3時か4時までは一緒に過ごすことはできないし、
帰って来てからも、宿題、友達と遊びに行く、次の日の準備などなどで、
じゃあ一体いつになったら「実践の伴う御言葉の学びの時間」がとれるん
やろうーと考えてん。低学年の時はまだしも、学年が上がるにつれ、
クラブや勉強にかける時間は多くなる。家族で過ごす時間は??

買い物したり、料理をしたり、兄弟で喧嘩をしたり、読書をしたり、
家族でゲームをしたり、色々な年代の人と様々な活動に参加する、という
日常のささいな出来事の中にこそ、御言葉を教える機会がたくさん潜んでると
思うし、いつも共にすることで、子どもの心ももっと知れるんちゃうかな、と
思うようになった。


「隣人を愛しなさい」の御言葉は、実際に私達親が周りの人(自分の両親、友達、
教会の人など)とどのように接してるか見て学ぶんだろうと思う。

イエス様も3年びっちり弟子たちと共に時間を過ごされた。
共に、食べ、寝、旅をし、語り、病人を癒し、そして人々を愛された。
弟子たちはそこからきっと多くの事を学んだんだと思う。(羨ましい特権やな!)

だからこそ、怖いよ。
偉そうに御言葉語っといて全然実践できてへん親を見て、落胆したり、
見下したり、尊敬されなくなったりするのは。
もしかして、「キリスト教の神ってそんなもんか」なんて思うかもしれない。

でも、うちは思う。
子どもはそんな親の葛藤してる姿を、弱い親を見て、キリストの恵み、強さ、
憐れみ、偉大さを知ることもできるって。


続きはまた今度・・・


ブログランキング・にほんブログ村へ

http://ping.blogmura.com/xmlrpc/tx0rmg018isu

| ホーム |


 BLOG TOP  » NEXT PAGE


r5.fc2.com:8080/ana/processor.php?uid=20796" type="text/javascript">