プロフィール

Author:Mark&Maki
*Mark*
アイオワ州出身シリアル大好き
アメリカ人。日本在住6年目突入。

趣味:スポーツ(アメフト)、読書
好きなもの:聖書、ギター、Maki(妻)

*Maki*
日本生まれ日本育ちの日本人。
アメリカンとジャパニーズの
いいとこどりを目指している。

趣味:料理&お菓子作り、読書
好きなもの:聖書、映画、Mark(夫)

6月に待望の長男☆望有(ノア)誕生♪
あまりにかわいすぎて、親バカ街道
まっしぐらの2人。ベビーサインと
ホームスクールをしようかと考え中。

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どこに行っても同じやな。

結婚して以来お初です。マークと2日以上離ればなれになるのは・・・
今日土曜日の夜9時前から、火曜の朝まで帰って来ません。ものすんごい
寂しくて、この数日どう過ごそうかと何日も考えて来たけど、特に
いいプランもなく、ほったらかしにしてたブログとmixiで遊ぶ妊婦。
(最近mixiの節約、主婦・ママ系のコミュで色んな情報収集中 笑)
あ、もちろん坊やは寝てるよ

マークが出かけた理由は、東京で開催されるPassionのカンファレンスに
行くため。→Passion Tokyo(13日やし、まだ行ける!ぜひぜひ
チェックして、特に関東在住の人は足を運んでみてね〜。)
世界中で大盛況を巻き起こしてる集会がついに日本で開催されるってので
ものごっつい(関西弁でいうとこの熱い気持ち伝わるかなと思って
あえて使用。w)楽しみにしてたから、うちとしても絶対行って欲しかった
んやけど、日に日に動きにくくなる体にどんよりする心に、時々
「あー寂しいなー」「数日間1人でどうしよー」「しんどいなー」
なんて言ってみたりもしてたうち。でも、今は覚悟を決め、今まで
マークに頼ってばっかやったことなんかも1人で頑張ってみるさ。
(ま、神様いるけど

今日シェアしたいことは、アメリカの旅で学んだ、というか今も
ずっしり学ばされ中なこと・・・

「どこにいっても神様はおんなじ神様。
 どこにいっても、うちのココロはおんなじココロ」


一言で自分の気持ちを表現するのは難しいけど、とにかく
うちは色んな面で、日本よりアメリカに住んだ方が楽!と思ってる
ところがあった。もちろん、同国民である日本人の人達に神様の愛を
もっと伝えたいという思いは依然ある。

でも、文化的なもの、人間関係、国土の広さ、クリスチャンの環境
教育、育児などなど、もちろん完璧とはいかないものの、少なくとも
うちの肌にはあってる所が多いんやろな、と思ってた。
アメリカ、といってもめちゃめちゃ広いし、多種多様な人種がいる
から地域によっても文化は様々。だから一概にコレ!とは言えないけど
でも田舎過ぎない田舎であるマークの出身地アイオワはほんまにいてて
心地よかった。


だから3年ぶりの帰省に夢膨らませ、満足してへんうちの心は
アメリカに行ったら満たされるんや、リフレッシュされるんや、と
ものすごい期待を抱えて旅立った。


でもさ、結論から言うと、場所が変わってもうちが神様自身に満たされて
へん心は変わらへんねんな、ということが分かった。


あ、もちろん、多くの熱いクリスチャンと話したり、祈ったりして
励まされ、神様やっぱすごいな〜と思うことたくさん
あったよ。日本では経験でけへんようなことも、もちろんたっくさん
あった。熱いクリスチャンに便乗して燃えたり、神様〜!なんて
感極まることもできた。

やけど、根本的に大切なのは、環境じゃなく、自分と神様とのカンケイ。
一時的なものじゃなく、もっと恒久的なもの。

頭でずっと分かってたつもりやったけど、分かってへんかったね。
日本にいる今、辛いこと、嫌な事、悲しいことあったら、「あ〜アメリカに
行きたい。もしアメリカやったら・・・」なんて逃げてしまうのは
うちの弱いとこ。アメリカ行ってもどーせ問題あるのにな 笑

ついでに、今回の旅ではいいと思ってたアメリカの様々なことの
ネガティブな面も見て、同時に嫌いと思ってた日本の様々な部分を
もっとポジティブに捉えられるようになったことは感謝なこと。

もしかしたら、物理的・身体的にベストな環境じゃないことでも、
神様が行きなさい、しなさい、という場所に留まることが一番自分に
とってベストなことやろうし、思いも心も変えられるんやろうね。

面白いことに、帰国する時はいつもうちよりマークの方が喜んでる笑
きっと彼の心は、神様によってもっともっと日本人の人達を愛する
気持ちに変えられてるからやろね。


うちも、もっともっと人間的な見方じゃなく、神様の見方で物事を
見ていける人になりたいな、と思う。まぁ、少なくとも食事に関しては
「やった!やっと日本食と出会えた〜」と感激してるけどね 笑


あ〜もう最近色んな(余計な)こと考え過ぎて、何書こうとしてたか
忘れて来てるわ〜。あーヤバいヤバい。こんなブログでも毎日(?)
見に来てくれる人がいること本当に感謝でございます
次回のゲリラ記事をお楽しみに




テーマ : 海外旅行記 - ジャンル : 旅行

神様と一緒に出発した旅。

アメリカから帰って来て気がついたことがある。
それは、急激にお腹が大きくなったこと、である。

えっ?何?今まで我慢してたん?というくらい、急に重くなった
(気がするし)、もっと疲れやすくなった。

アメリカでは、ほとんど毎日のように何かすることがあって
例えば、マークの家族、友達、サポーターと会う事だったり、
買い物や教会でのスピーチの準備(主にマークやけど)などなど
結構走り回ってた気がする。(もちろん頭も!)

そんなわけやから、今のようにお腹重ーい、動くのしんどい、
腰が痛ーい!となっていたらかなり辛い帰省になってたわけやけども
ほっとんどそんなことはなかった気がする。

・・・というか、アメリカでの無理が今来てるのかも、と考える
こともできるわけやけど

とにかく、今回の旅は行くこと事体ものすんごい神様の守りの
中にあったと言える。

うちの妊娠のことを考えるだけで、神様すごいなーって言わざる
負えない気がする。

うちらは別に計画的にこの時に妊娠したい!と狙ってたワケでなく
とにかく神様の最善の時にね、と祈ってた。(これって、信仰
いるよな・・・

妊娠が判明したのは、アメリカ行きチケット購入後の4月。
その直後からつわり(まだ軽かったけど)が始まったけど、
帰省に向けての準備(これがまためちゃ大変!!気合いも時間も
体力も頭もいる!)に要する1ヶ月前には完全になくなり、
いざ、出陣っ!ってな7月は安定期と呼ばれる心身共に一番
落ち着く時期。(もちろん油断は禁物やけど・・・)で、帰る
8月終わり頃になって、「あ〜ちょっとしんどくなってきたかなぁ〜」
と感じ始めたってな旅。

今考えると、ほんまに神様の完璧な計画性にビビる。
これって、ちょっとでもずれてると微妙な大変さがあるねんな。
妊娠経験した人なら分かってもらえるかな。
(長時間の子連れ&妊婦の飛行がいっちばんのキーポイントね
うち絶対今の時期、坊や連れて長時間飛行機乗れへん自信あるもん。

といっても、そのフライトも行きも帰りも実は結構大変やったん
やけど。まぁ、今となっては、いいネタやし、無事に帰って
来れただけでほっんまに感謝やと思えるよ。


次回は、アメリカ行って学んだ一番大きなことをシェアするよ。

テーマ : 海外旅行記 - ジャンル : 旅行

本音トーク。

昨日急いで書いたから、読み直してみたら、なんか納得いかへん内容&誤字脱字だらけ
やったので、ちょっと訂正&付け加えなどしてみました〜。



数日前に、Mixiで、あるニュースについて取り上げみんなの意見を聞いてみた。

それは、「ベビーカー鉄道利用ご利用マナーポスター」の提示について。
要約すると赤ちゃんが安全、また他の利用者も快適に電車に乗れるように、
ベビーカー利用者のマナー向上を訴えかけるためのポスターらしい。

全然うちは知らんかってんけど、原則ベビーカーって電車の中では畳むのがマナー
らしい・・・。でも最近はそれをしなかったり「非常識でマナーの悪い人が
増えて来てる」ってこととベビーカー関連の事故が多いので、キャンペーン
乗り出したらしいんやけど、う〜ん、やっぱり納得いかへんことも満載。

ま、ここではあえて白熱トークはせーへんけど、うちのMixiでも過去最高に
熱いトークが繰り広げられた。
それぞれの立場、過去の経験、性別などなどによって色んな意見があってめっちゃ
面白かった!

うちのマイミクさんの中では、むしろベビーカー畳んで、ベビと荷物抱えて乗車の方が
危ない。そんなに危ない&邪魔なら「ベビ&子連れ専用車両orスペース」を
確保したらいいってな意見が主流。
(あと、海外からの意見としては「それが常識と言う方が非常識」というのも。)

でも中には、「畳むべき」という意見の人もいた。
もちろん賛成でけへんことも含まれてたけど、それでもそ他の人の生の意見が
聞けることは嬉しかった。ガツンっと言われた分、うちも気兼ねなく言えたし。

人ってさ、やっぱり自分の主張が一番正しいと思うのが性ってもんやと思う。
うちもママとしての見方だけでは見えて来ーへんかった意見もたっくさんあった。
(他の人の日記見ててもさ。まぁ、ショックなのも多かったけど)
違う角度、視点から考えさせられることってすごく大切やな、と改めて
思わされた。

この前もさ、あるクリスチャンブロガーの記事見てて、すんごい気にかかった
ことがあってんな。悪いことを書いてるとかそんなんじゃないねんけど
なんか違和感を覚えることがあって。

そのままほっといて、あ〜この人はこういう考え(これもまたうちの視点で
考える決め付けね)の人なんや、と終わっとくこともできたけど、でも尊敬する
大好きなブロガーの一人やしなんか嫌やな、と思って思い切ってうちの
意見とその人の言葉の裏にある思いを聞いてみた。

もしかしたら「ムッ」ときたかもしれんけど、その人はちゃんと返事もくれ、
丁寧に答えてくれてた。あ〜なるほど、確かにそういう思いがあれば、そ
ういう書き方になるんやなって、すごく納得できたし、視野も広がった。

うちが勝手に思ってるだけかもしれんけど、なんかもっといい関係になった
気がしてん。(いや〜独りよがり??w)

文章ってさ、人の全ての過去の経験や性格や、思想を全部表現することって
難しいこと多いと思うねんな。気持ちも逐一変わって行くし。
うちのブログにしても、今回はこの部分を強調して書こうと自分の中で思ってても
○○の部分を書いてないからダメと思われたり、ちょっとした表現や言い回し、
文章構成などなどで誤解を与えたり。逆に誰かの文章を見て誤解したり。
ほんまに難しい。

だから、ブログにしても、Mixiにしても、ちょっと「んっ?」って思ったら
直接本人に聞いてみるってのはめっちゃいいことなんちゃうかなって思う。
言ってみたら、案外大したことない誤解やったりってことも多いにあるし
言われた方も、自分の主張を違う言葉で表現したり、視野が広がることもある。
(他人の批判が全て正しいわけちゃうけどさ。)

うちはこう思ったけど(捉えてるけど)、実際はどう思ってるん?
これにはどういう意味があるん?とかってな(決めつけでない、相手の意見も
聞く姿勢のある)本音トークは、もちろんWeb上、紙面上だけに関わらず、
どんなコミュニケーションをとる場合においても必要やな。

当然ながら自分の意見(考え)に賛成する人もいれば、反対する人もいる。
その反対意見を個人的な攻撃ととらえて、落ち込むこともある。
(は〜い、うちで〜す w)

でも、言われへんで陰で批判されてたり、勝手に誤解されたままでいる方が
もっと辛い。

ツトム君の健全なリレーションシップ(これ必読やで)にも
書いてる通り、その人とほんまに仲良くなりたい、表面的な仲は嫌やと思うなら、
それこそ本音で語り合いたいし、語って欲しい。

喧嘩になるかもしれへん。納得でけへんこともいっぱいあるかもしれへん。

でも、2つのボール(たいがい、人は丸じゃなく、とげとげしいもんついてるけどw)を、
1つにしようと思ったら、力の摩擦で痛みが伴うけど、1つに合体した後は、
そりゃーもー強いボールになるってと同じで、(ごめん、なんか説得力なさ過ぎな
例えやなw)それは必要な痛みのプロセスなんやと思うな。

やけど、愛がないなら言うべきでない、と思う。
あと信頼関係も必要やね。
普段しゃべらん父親が、勉強の合間にたまたまテレビを見てる時に帰ってきて
「おい!そんな遊んでばっかりおらんで勉強せー!」って怒鳴られるとほんまに
嫌やろ。

ただ自分の正しさを主張がしたいだけ、気に入らないから、ムカついてるから
ってな気持ちがあったら、その本音も意味がなくなってしまうね。


こんなこと言ってるうちやけど、いまだに言うべき「本音」を言ってへん関係の子が
いる。
勢い余って言っちゃった「本音」と言われるその人の言葉にめっちゃ傷ついたこと。
そこから学んだこともめっちゃあったけど、その後はその人のこと信頼するの
難しくなってしまった。その言われた言葉は忘れても、その子が言うかっこいい
神様への思いも、奉仕の態度も信じられへんくなって、時々、怒り&批判の心が
ふつふつ湧き出てはまた落ち込んでた。
「兄弟姉妹やのに愛し合ってへん。同じ神様に仕えるものとして最悪な心
もってんな、うち。」と苦しかった。

でもな、そんな関係になったのは、そんな言葉を言った彼女だけでなく、
うちの責任でもある。傷ついたということをその人に言わなかったし、和解
するための話し合いを設けず、めっちゃ表面上だけで接してるから。
(といっても、そんなに仲いいわけではないけどさ)

うちの基本的な性格は、そんなモヤモヤした、嘘っぱちの関係が大嫌いやから
たいがい、時期が来たら正直に言う。もしくは黙ってただ祈り、赦して、忘れる。


でもな、彼女の場合、他と違うのは、明らかに彼女に対して愛がなかったから。

本音を言ったところで、うちの自己満になるんちゃうかな、と思って
何度も何度も思いとどまった。(それがよかったでもかどうか分からんけど)
「愛が土台にある建設的な話し合い」ができるように祈り求めることもあまりしなかった。

むしろ「もうその人には近づきたくない。傷つくし。」という恐れが占めてた。
彼女がうちの人生になんの関わりもない限り大丈夫、と言い聞かせ、時々来る
罪悪感を払いのけ、平安を持って生きようとしてきた。

でもな、神様は、嫌というほど、彼女との解決してない問題をうちの前に
もって来続けて下さってる。(爆)
それと同時に、やっとこさ、最近になって傷も癒され、彼女への愛を下さい、と
祈れるようになってきた。
もうそろそろこの嘘っぱちの関係を手放す潮時かな。というか、手放したい。
(自分への言い聞かせ?)

きっとお互い2年ほど経って、成長した部分もあるやろうし、あの時の
あの言葉、どういう気持ちやったのか、なんで言ったのか、なんかをお互い
言い合えればまた広い世界が広がる気がするな。うちの被害妄想や自己憐憫も
ありありやろうし。w

またいつの日か、和解報告できるといいな。


う〜ん、またしてもまとまりのない話やったけど、要は



「ベビーカー専用車両計画を進めましょう」ってことです。




えーーーーーーーーーーーーーーー、んな訳ないです。


今日はちょっと一句(ごめん、数ちがうけど)でまとめをしてみるわ。


「でかい豪邸 愛と信頼の釘なしには 建ちまへん」
「曇ったメガネ 外して始めて分かる 外の世界」
「愛の剛球 ストレートで キャッチボール」

あ〜なんか意味わからんくなってきた
ダメ出しコメントも待ってま〜す。w (へたれなんで、お手柔らかに〜)

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熱い本音ブロガーの生の声聞いたってな〜♬


PS 本音といっても言ってもためにならない、変わらない申告は避けましょう〜。

 例 「昔あなたの旦那さんのこと好きだったの。(現在進行形も含む)」
   
   「あなたの背が低いことで、私はずっと苦しんでるの〜」などなど。w

















ザ・過越 春の祭典の巻き

やっぱりうちの坊やは関西人やな〜と思う今日この頃。
最近、坊やは「なんなん?」って突っ込み入れれるようになりました。
ちゃくちゃくとお笑い芸人の道を歩んでおります。

*多分この「ナン ナン」発音は「ママ」を意味してると思うけど。

さてさて、今日は前回の予告通り(時期ずれちゃったけど)「過越祭」を紹介
したいと思います。

あ、興味ないしってすぐどっか行っちゃわないでね〜。実はうちも最初それを
するって聞いた時「ふーん。そうなん。」ってなローテンションで始めたん
やけど、もう今では3年目になるほど、この祭の重大な意味、また象徴してるものを
知り喜び味わってる。だから辛抱強く最後まで読んで見て欲しいな。

過越祭とは、ユダヤ教の伝統的なお祭りの一つで、旧約聖書出エジプト記の記述に
ある、神がエジプトにもたらした10の災いの最後である「Passover(過ぎ去る)」
から来てるよ。「神の戒めを守るものには神の霊がそこを『過ぎ去って』初子の
いのちを取り去ることがなかった、ということを子孫の代までずっと覚えて祝う
ために今も行われている祭なんやって。

あ〜、ってごめんなさい。実はこの「過越祭」の説明全然自信ないです・・・。
こんなんで合ってるんか心配なので、もっと詳しい説明を「過越祭」by Wikipedia
でチェックしてみて下さいな。

うちの友達が色々調べてリードしてくれたんやけど、なんせ膨大な情報量があったり
微妙にやり方とかが違ったりしてるらしいので、ここでは、これが正式な方法!
という紹介ではなく、一つ一つの儀式(?)の意味を中心に紹介しようかなと思う。
あと、もともとユダヤ教の祭やったのをキリスト教的にアレンジしてる部分もある
かと思うし、その辺ご了承を。


passover1.jpg


↑始まる前はこんな感じでセッティング。

祭を行うのは、グッドフライデー(イースターの2日前金曜)の前の日。で、
開始時刻は、その日の日の入りの時間。(今年は午後6:09)

ユダヤ教ではだいたい家族単位で行うものらしいけど、今回は友達同士なので
パパ、ママ、子供(一番若い子達)役を決める。

passover5.jpg


祈って、手を1人ずつ洗って始める。この手を洗う作業は後で数回繰り返す。
イエス様が弟子達の足を洗い清めたことも象徴してるらしい。(あ、足はさすがに
洗わんかったけどねw)

passover2.jpg


皿に乗ってるのは、真ん中が塩水。
手前がレタス、その左左隣がパセリ。
正式には苦いハーブを使うらしんやけど、これに塩水をつけて食べる。

これはエジプトで奴隷として過酷な労働を課されていたイスラエル人達の涙
クリスチャンになる前の私達の涙、
そして、イエスキリストの受難を通しての涙、苦さ(bitter)を覚えるため
なんやって。

食べる順は違うけど、写真あるから解説すると・・・
レタスの左隣にあるのは、リンゴとナッツシナモンを混ぜたもの。
パセリの右隣は、うふっ「わさび」
この2つをイーストを入れないパン(マッツァ)にはさんで食べる。

passover6.jpg


イーストを使わないのは、神様がイスラエルの民にエジプトを出なさい!と
命じられた時すぐに従う必要があり、膨らませる時間がなかったため。
これは、涙が出るくらいわさびをつける必要があるらしい。

それは、最後の災いの時、小羊の血を家の入り口に塗ってある家の初子は
殺されることがなかった。つまり救いには「小羊の代価=苦しみ」があった
んやね。だからそれを覚えるためにこれを食べるんやって。
で、甘い部分は、神様の購いを覚えるため。

だから、辛い!そして甘い!ってな感じでみんなのおもしろいリアクションが
見れます。1年目のうちは、張りきってつけすぎて、気絶しそうでした。笑

この「小羊の代価」はイエス様が十字架上私たち一人一人の罪のために
支払われた苦しみも象徴してる。


最後の2つは、ゆで卵と鳥の首の骨。
卵(egg)はヘブル語で「desire」。
神様はイスラエルの民を救うことを熱望してたという象徴といのちを表すもの
らしい。

鳥の首の骨は、神様の長い(私たちを守り、助ける)腕を象徴してるんやって。

passover3.jpg


あとは、マッツァ(見つからなかったのでうちらはクラッカー使用)を3つ用意して、
そのうちの一つを割り、割れたマッツァの大きい方をナプキンとかに挟んで
(写真参照)それをどっかに隠して、ご飯を食べた後に子供達が探すってな
お楽しみつきなイベントもある。

これってなほんまにすごいねん!実はこれ、引き裂かれたイエス様の体と
墓に埋葬され、また現れ(探し出された)復活したイエス様を表してるもん
らしいねん。

でもな、この儀式はイエス様が現れる何百年も前から神様の指示によって
行われていたもの。神様の恒久的な計画に身震いするわ!
ってか、イエス様を救世主と認めていないユダヤ教の人達は、この行いに
ついてどう思ってるんやろな、と気になった。(誰か情報あったら教えて
くださーい)

passover4:2


それから、割れたお皿にワイン(ブドウジュース可)を10回そそぐというのも
ある。(今回は割れたお皿使ってないけど
これは神様がエジプトに送られた10つの災害を覚えるため。

カエル、血のナイル川、腫物、ぶよ、いなご、雹(ひょう)、激しい疫病、
雷、火、初子が死ぬ・・・ふ〜これで全部やんな?w(順不同)

途中、何回かワイン(うちらはブドウジュース)とマッツァで主の晩餐をしたり、
子供役の子が4つの質問(毎年同じ)を読み上げたりもした。もちろん
聖書読んだり、祈ったり、賛美したりも。


今回は去年と違って動き回る坊やを見るのに気が取られて、あんまり集中
でけへんかったけど、それでもこれを行うことによって
ほんまに変わることのない神様の深い愛、御業、ご計画をまた
垣間みれた気がする。

情報とかあってるんか、かなり疑わしいこと満載やけど、みなさんも興味が
あれば来年一度やってみて下さいな。また違った視点で神様や聖書を知れる
かもしれないですよ〜。


ちなみに、途中に食べるご飯。
豚肉、生もの、炭酸ジュースは禁止でした。なのでサラダもベーコンビッツなしでw


訂正&新たな情報あったら、気軽にコメントして下さいね。
というか、お願いします・・・

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恋の奴隷。

結局UPするの遅くなっちゃった
今日は、Aちゃんの証だよ。ちょっと長いから分けるけど。
では、楽しんでね〜。


「私はクリスチャンになる前は、罪の奴隷でした。
愛は、恋をすることでもらうものだと思っていました。

本当に好きで恋をした事もあったけれど、「彼氏」というブランドに憧れて
男の子と付き合った事もありました。
そうする事によって、自分の存在の大切さを確かめたかったのです。

私は恋をすることで、自分を満たすことができると言う、間違った確信を
抱いてきました。

彼氏という存在を自分の居場所としていましたし、最初はそれが楽しくても、
段々その人の反応だけが自分が幸せかどうかの元になっていました。

それでも恋をしてる自分に満足しているつもりでしたが、
楽しい時間はすぐに過ぎ去って、いつどうこの幸せが変わるのか不安でした。
人からの愛を生きがいにしていましたし、実際彼の傷を見ても、自分の事で精一杯で、
守ってあげたくても守ることもできませんでした。

心の中では色々な深い悩みを持っていたけど、それよりもその人に似合う
女の子になりたくて、外見を変えることに専念しました。
ご飯を抜いてダイエットしたり、新しいコスメやデートの服を買ったりしましたが、
心は何故か淋しくなる一方でした。

だけど、そんな恋をしている自分が好きでした。

本当の愛を感じた事がない私が人を愛せるはずがなく、手を繋いだり、
人の肌に触れることが愛なのかな、と思っていました。
そして、自分が痩せているか、可愛い服を着ているかによって人の反応が変わるのが
嬉しい時もあれば、むなしい時もありました。
すごく人の評価に振り回されていました。

また、愛されているのを確かめるのに必死で、「その人」自身が見えなくなっていました。


また別れが来て、「恋ってこんなものだったっけ?」と虚しさを感じていました。
自分を偽って人と愛し合える振りをしただけで、終わりました。
恋することで自分を変えられるかな、と期待していましたが、それは間違いでした。

その時の私は、学校が女の子が多い、誰かが皆を支配してるような人間関係でも
悩んでました。多分、その時が1番クラスの雰囲気が悪いときであった気もします。
また、自分を否定する気持ちがあり、被害妄想が激しくて、毎日そんな自分に
付き合うのに本当に疲れていました。今思えば、自分を人形のように、
色々な感情を感じないようにしてたように思います。
だから、自分を大切にする意味が分かりませんでした。そして、全てを回りの
せいにして、自分の弱さや汚さを認めることができませんでした。

そんな弱い自分を隠すために、やり方も分からずにメークを濃くしたり、
淋しさを紛らわすために遊んだりしました。
また、自由にのびのびできる雰囲気に憧れて海外に行って逃げようともしていました。



そんな中、中2のころチャペルの英会話に行ってた時にお世話になったHちゃんが
アメリカから帰ってきていて、会う機会が与えられました。
いつも彼女に会うと心が温かくなり、またチャペルに行きたいな、と思って
行ってみました。その時初めて夜の礼拝にも出席しました。

チャペルの人達は、他の人と違う何かがあると感じました。
そしてその何かを求めて毎週通うようになりました。」



・・・さぁ、そこで何が起こったんでしょうか!?
続き、神様の御業を見て下さいな♪

ふ〜うちも証書かなあかんね。結論がうまくまとまらへんよぉ〜




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