今日も長いですけど、みんなにとっても伝えたいことがあるので、最後まで
読んでもらえたら、嬉しいです。「神への冒涜だ!」「神の名を汚してる!」と非難し、イエス様を十字架に
かけるよう訴えたパリサイ人や律法学者達の怒り。
「父(神)の家は祈りの家だ!なぜ強盗の巣になっているのか!」と人々を
責められたイエス様の怒り。
この2つの「神様の名が汚されていることへの怒り」の違いは何なのか
先週ちょっと考えてみた。
マークが教えてくれたことも含めてうちが考えたことは、
パリサイ人達はイエス様のしてきた奇跡や御業(ん?同じか?)
権限ある言葉などの真理に目を向けず、自分達が今まで守って来た「伝統」
「規則」を重んじ、自分達の基準だけを正しいとしていたから、
突然現れた身なりの悪い貧しい家庭出身のしがない大工が自分を神の子と主張し、
民衆の人気を集めているということに我慢ならず、ねたみでいっぱいに
なった故の怒りやったんじゃないか。
だから同じ「神様の名が汚されていることへの怒り」でも、パリサイ人とイエス様
では、動機が異なる「怒り」なんやなって。
「自分の正しさを主張するため=自分の栄光のため」
「父なる神の御心を行うため=神様の栄光のため」ちょっと立ち止まって考えてみた。
大好きな神様が悪く言われるのすごく嫌だ。
聖書の御言葉を自分達の都合のいいように解釈して自分中心に生きることを
励ます人達の主張は聞きたくない。
でも、去年日本にも寄港したドゥロス号のなどを運営する世界宣教団体OMの
創設者ジョージ・バウワーの言葉のように(まき要約)
「自分の働きと他者の働きについて、恵みをもって正しく語ることは大切である。
恵みの欠如が最も有害なものとして現れるのは、自分たち以外のグループー教会・
準教会、宣教団体ーについて、その実態を全体として正しく見据えることをせずに
だいたいそんなところだろうということを口にしてしまうときである。それは
グループの指導者に多く見られる。・・・そして根拠を欠いたコメントにより
誤った判断が下され、誤ったイメージが植え付けられてしまうとこになる。事実で
あったとしても、伝えられ方によっては人を傷つけ、グループにダメージを与え
かねない。(建設的な批判とはマタイ18章15ー17のことである)」は、胸にささった。
でも、実はうちの通ってる教会はジョージ・バウワー氏の言葉のように、
ある有名なクリスチャン新聞で「カルト教会」と称されたことがある。めっちゃショックやった。もう周辺の教会全てにその噂は広まってたらしい。
傷ついたし、悲しかった。いやいや何?「噂話はいけません。」って
教会で説教してる身分やのに何で事実を確かめにこず、勝手にレッテル貼るん?って
思ってた。(今はだいぶその噂もなくなってるかな?)
だからこのブログでもあまり教会のことは書かへんかったし、わざと触れても
こなかった。うちが通う教会の名前を見た瞬間、うちがどんな内容を書いてるか
見ずに、「あ〜カルト教会信者の言うことやしな。」と去って行って欲しくなかった
から。
この事実を公表するまで結構葛藤した。でも、前Aちゃんの証をするよ〜って
公開した時、はっきりと「自分の通う大好きな教会の名前」が書けへんってのが
悔しくてさ。だから、うちのブログをいつも長いのにも関わらず、わざわざ読んで
下さってる忍耐深い読者のみなさまが噂で離れてしまう前に、自分の口で言うべきと
思わされて書くことにした。(噂を耳にしつつも、読んで下さってた方々には
ほんとうに感謝します。)
やけどな、うちも全く同じことを他の人にもしてたことにも気づかされた。うちもつい数年前までいくつかのある教派に対してかなり懐疑的な見方を
していたと思う。
そこに属するor通う人達の信仰がうんぬんかんぬんの前に「○○派に属してるから
あかんわ。」と
決めてかかり、深く知ろうとも、交流を持とうとすることもなかった。
(といっても、そんなに知り合う機会はなかったけどね。)
時に「あの人達より自分こそが神様の御前で正しい」などとうぬぼれてもいた。
自分の好まない方法で神様に仕えたり、賛美したりしてる
人のこと、深く内面まで知らずに、その人(もしくは教会・教団)のこと見下したり、
裁いたり、受け入れてなかったことにも気がついた。この数年の間に、神様は様々な方法を通して、自分がされて嫌やった
「レッテル貼り」を他の人達にもしていたことを教えて下さってる。
特に、このブログを通して知り合った多くのクリスチャン&クリスチャンブロガーとの
出会いを通して。
ほんまにいかに自分が同じ神様を信じる兄弟姉妹に対して閉鎖的で、恵みのない見方を
してたんや・・・と毎日反省させられてる。&過去どれほどその偏見で学びの
機会を見逃してたんやろ・・・との後悔もある。
なんでうちは今まで「日本のクリスチャンは熱心な人あんまおらん。」とか
「日本の教会は妥協(特に偶像礼拝とか)してて元気じゃない。」なんて
一般化して、中身をみようとしてこーへんかったんやろって、さ。
もっちろん絶対譲れへんとこもあるよ。いや、ちゃうやろ

って突っ込み
たくなる時もある。←うちが合ってるかは別として。
絶対聖書の真理は曲げたくないと思うし、神様中心の福音じゃないと嫌や。
でも、「自分の正しさ、好みを守るために」他の兄弟姉妹を受け入れないって
それこそ「神様中心の福音」じゃないもんな。超偽善者やな、うちは。これに気づけたのも「ブログ村」に参加し、多くのブロガーに出会ったおかげや。
ほんまにみんなありがとうございます。(もちろんブログ村に参加してへん素晴らしい
ブロガー達にも!)そして、勝手に裁いて、レッテル貼ってしまってたことも
本当にごめんなさい。
ツトム君の記事を最初に読んで(だいぶ昔の記事やったけど)勝手に偏見をもって
「ムっ」ときて(
「ホットでナウいヤングな、くりすちゃん。」)そのまま
ほったらかしにしてたら、こんなに深い学び(今も謙遜学びは継続中やけど・・・)
でけへんかったんやろな、と思うと恐ろしい。
神様の憐れみ感謝です。
こんな小さな兄弟姉妹同士の壁から、教会間、教派間の争い、ねたみ、批判って
生まれるんやろうなと思う。
んで、それはばっちりノンクリスチャンの冷たく冷静な目で判断され、「キリストの名」
が非難される元にもなってくるんやろうな。
「リバイバル」=再び生き返る つまり、クリスチャンであるうちらが神様に
立ち返り、愛によって堅く結ばれ、そして横の繋がりでもある他のクリスチャンと
神様を中心に一つになって初めてノン(未)クリスチャンの目がぐわって開かれるん
ちゃうかな、と思ってみたりもする。
外への働きかけと同様に、内側の働きかけも大事やとほんまに思う。
ブログ村のクリスチャンカテゴリーには今156ものブログがある。うちが参加し
始めた1か月前よりずいぶん増えた。
どんどん素晴らしいブログが増えてってるから、どんどんうちのブログは
ランクが落ちっててるけど、全然気にしなくなった。(ということは、最初はちょっと
寂しかったってことね。爆 まぁ、「NO」と言われてる気がして、人の評価も
気になってたこと認める。)
だって、ほんまにみんなのブログはいいねんな。(あ〜語彙力のなさが悲しい)
年代、職業、性別が違うからこそ、信仰の持ち方も様々あるし、神様から学んでる
ことも、神様の見方も色々ある。
どんだけ真理やと思ってても、一つのことを極端に主張することは危険な時も
ある。それを、クリスチャンブロガー達は色んな見方で見る心も養わせてくれる。
「おぉ〜そう考えるか。」とか「その箇所はそんな意味もあるんや〜」とかさ。
何事でもバランスが必要やもんな。
もう○○教会に行ってるから、○○派やから△▲と決めることなく、その人自身の
信仰、思い、学びを見ていけるもっと広い心の持ち主になれたらなと思ってる。
で、もし疑問や意見があるなら、マタイ18章のような建設的な批判でお互い
磨き合っていけたらなと思う。
というわけで、こんな未熟な、しかし神様にあって成長中の小さき者ですが
今後ともみなさまの温かいご指導とご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。
(といっても、ダメ出しコメントの時にはアメちゃん

も一緒にお願いします。w)
「
訓戒を大事にする者はいのちへの道にあり、叱責を捨てる者は迷い出る。
箴言10:17」→ちょっと結論ずれたけどご愛嬌で・・・笑

↑さぁ今日はどの『映画』をお探しですか。
あ、ここには
天地創造の神様監督作品のストーリーしか
おいてませんからご了承下さいませ。
どれもアカデミー賞総ナメ間違いなしの数々です。お楽しみに

レンタルビデオ 「GOD」 より。
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