二人の「愛の言葉」が全く違うもの、と分かったまではよかった。
さらなる試練は、相手のためにこの先どう変わっていくかということであった。
マークが「褒め褒めアタック」や「愛してるビーム」を飛ばして来る度に、私は
日本人ならではの、「あ、お返ししなきゃ。」と潜在的に思ってしまった。
でもやっぱり自然にはできないことだったのだ。
もし彼の愛の言葉が「贈り物をもらう」ことだったらそんなに大変なことでは
なかった気がする。でも、ボディータッチや言葉かけはどうしても素直に
できなかった。いつもいつも頭の中で回っていたこと・・・それは
「与えられてないものをどうやって与えたらいいのよ!マークはいいよね。ハグやキスをいっぱいうけて、そして褒められて励まされて育って来たんだからさっ。」(かなり正直な心の声)
別に努力したくなかったわけじゃない。マークの生まれ育った環境と自分のを比べて
ひがみ、自己憐憫になり、すねていたのだ。
私がマークのために変わるためには、どうしても「過去における両親との関係」と
向き合う必要があった。だけどそれは心が痛い痛いことだったので逃げていた。
ここで、誤解をふせぐために知っておいてもらいたいこと。
私は、私の両親はスーパースーパーひどい両親だ!と言ってる訳ではないし、彼らは
決してそうではないと思う。母親は、私のことを一番かわいがっていたと言うし、
実際昔の写真を見ても、9年間は末っ子だったためか、母親と一緒に仲良く肩を
抱えられながら映っている写真は、私が一番多い。父はほとんど仕事仕事で、あまり
相手にしてもらった記億はないが、それでもやはり一番気に入られてたのは私だったと
客観的に見て今では思える。その時は全然わからなかったが、長期休みの時にどこかに
連れて行ってくれたり、おみやげを頻繁に買って来てくれたりしたのは、彼らの
精いっぱいの愛の表現だったと今は分かる。
ただ、彼ら自身、両親から、褒められたり、愛してると言ってもらったり、ハグして
もらったりして育っておらず、だから子供達にそれらを充分に与えることが
できなかっただけの話なのである。これは一般的にほとんどの日本家庭に当てはまること
だと言える。もちろんマークの両親も完璧だったわけではない。
彼らにも弱い部分もある。
だけど当時の私は、両親(特に母親)の悪い部分ばかりに目をとめていて、
将来彼らのようになることが嫌で嫌でたまらなかった。時々、自分のうちに、私が
嫌う母親の性質が見えた時に「やっぱり私は彼女のようになるんや!」って思い
落ち込んだ。マークはいい両親に育てられたから、私の気持ちなんて分かりっこない!
なんて思うこともよくあった。
でもマークがいつも言ってくれた。
「イエスキリストが僕達の心のうちに住んで下さっているのだったら、僕達は
全く新しい、造り変えられたものになったんだ。失敗や罪の連鎖を神は
止めて下さるよ!」
これを信じるには、長〜い時間がかかった。でも、それを信じて一歩前に進まないと
何も変わらず、両親と同じことをしてしまうんだ、という確信もあった。
一歩前に進むとは、両親が私にしたことを神様に明け渡し、彼らを赦すこと。
怒りや苦々しい思いも全部。
自己憐憫にならず、イエス様が提供して下さっている新しい道を信仰によって
受け取ること。両親が与えてくれなかった「愛」をイエス様は与えて下さると
信じ、祈り求めること。
このプロセスは今のところ順調に進んで行ってる。もちろん時々マークが「なんで
もっとハグしてくれないの?」って言う時、愛されてないと思って育った
自分の過去を思い出し「受けてないのをどうやって与えることができるんよ!」って
言いたい衝動にかられることもある。でも、今私は新しい者へと変えられた。
両親から与えられてなくても、無条件で豊かに愛を与えて下さる神様がいる!
もっともっと前向きになってきている。(もちろんそうではない時もあるが・・・。)
マークを喜ばせるために、彼の分かる愛の言葉を学んでいる。
今は、マークも驚くほど私は変わり、彼の「愛の言葉」が出来るようになってきた。
衝突の絶えない関係をもっている人は、お互いの愛の言葉を話し合い、
またなぜそのような愛の言葉を持っているのか、また持たないのかを知るために
その人の育った環境を知ることは、良い関係を築く助けになると思います。
もちろん、イエス様に祈り、助けを頂くことが良い関係を築くベストな方法だという
100%の保証がありますけどね。
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