昨日はほんまに焦った・・・

気を取り直して、書き直し

今日のテーマは、
「親密な交わりから得られる喜びは、献身の報酬である。」献身とは、自分の利害を考えず力を尽くすことである。
つまり、
親密な交わりを通して得られる真の喜びは、
相手の幸せを長期的に求めて捧げられる自己犠牲の愛と献身とに
比例して味わうことができるものである、というのがジョシュアの考え。
自分の一時的な欲望(孤独からの解放、癒し、社会的地位の確保、性欲etc)
を満たすためだけに相手の心や体を奪うのではなく、生涯において、
責任と安心、信頼を提供することのできる関係(最終的には
結婚という
特別な夫婦の関係)
を
約束できる準備が整って、始めて親密な関係に入っていくべきだってこと。
みんなはどう思う?
親密な関係に、「献身」なんて別に必要ない?
付き合ってすぐに、「結婚」を考えるなんて重すぎる?
ただ男女が一時的な欲望を満たし合うことを合意して
楽しんでるんやったらいいんとちゃう?
これらの言葉はよく聞く言葉だね。
ジョシュアは、お互いの献身の度合いを確かめ合わずに親密さを
深めて行く
危険を、次のように例えてる。
命綱を責任をもって握っていてくれることを確認していないパートナーと
標高3000mの切り立った山を2人で登山するようなもの。
崖っぷちで聞きたくない言葉。それはお互いの関係が相手にとって
重荷である。っていう告白。
そのスリルを味わいたいのなら別だけど、本当の喜びや愛を求めるなら
この方法は適してないと思うな。
献身なしの親密な交際は、
聖書が教える真の愛とは相矛盾する。
愛は自己を否定するのに対し、それは自己中心。
愛は忍耐するのに、それは性急。
愛は他者の長期的幸せを求めるが、それは一時的な要求にしか目をとめない。
今親密な関係をもつパートナーがいる人。
あなたの
「愛」はどっちですか。
(この問いって、結婚した今でも自問自答しないとあかんけどね

「親密な関係」=肉体的な関係があるとか、公に「彼氏・彼女」っていう
関係だけに限定しないで欲しい。
ジョシュアは、デートに出かけなくても、不適当な親密さに入っていることが
ある、と指摘してる。メールや電話、時にはグループ交際でも。
大事なことは、相手に対して現段階で持っている献身に比べ、その親密度が
ふさわしいレベルであるかどうかってこと。
この記事を書いてて思い出した事がある。
マークは婚約するまで、一度も"
I love you
"って言わなかったこと。
*I really like you!とは言われてたけど w
"
I love you"という言葉は彼にとって特別で、彼はずっと決めてたんだ。
この言葉は、
将来の妻にだけ言おうって。
それから、私達は婚約するまでに、お互いの唇に触れることはしないと
決めていた。(一回間違えてしちゃったのは認めるけど

)
もちろん、付き合い始める前から、将来のことは視野に入れていたよ。
このラインは、私達が不適切に親密な関係に入ることを阻めてくれたし
将来を約束してなかった私達にとって、
別れた後の結果(お互いの将来の
パートナーを尊重する。傷を最小限にとどめる。etc)も考慮し合うことも
できた。
若過ぎて「結婚なんて将来のこと考えられない!」って思うのなら、逆に
相手の人生(時間・能力をのばすチャンス・心・体・他の人との関係etc)を
犠牲にしてまで
今続けるべき関係
なのかどうか、考える時間をとっても無駄にはならないと思うな。
クリスチャンであるなら、なおさら「一時的な喜び」に惑わされないように
気をつけないといけないね。
(これは、独身の人だけではなく、誰にでも言えることなんやけど。)
次回は、「
恋愛関係に伴う7つの危険な傾向の巻」をお送りしま〜す
ふ〜よかった。最後まで消えなくって・・・。
テーマ : 愛を語る - ジャンル : 恋愛