最近、我が家で必ず毎日聞く言葉。
それは・・・
「ノア、かわい過ぎ〜
もうどうしよう
くらい
」」
と、超親バカ(バカ親!?)の2人。ま、ブログやから言いたい放題
言っちゃうけど

、
ほんまにかわいいねんって
最近、よくしゃべるようになってきたし(喃語と言われる「ア〜]」「ウ〜」などの赤ちゃん語)笑ったりするようになってきたから、
さらに親バカ度は
ヒートアップ
ま、この親バカ日記は次回書くとして、今日はうちが今学んでることに
ついてシェアしようかな。
先日、あるクリスチャン掲示板を読んでたら、次のような内容の
書き込みがあった。
「私はクリスチャンで、同じくクリスチャンの彼氏がいます。彼とは
遠距離恋愛中です。もうすぐ彼の住んでいる所に遊びに行く予定です。
彼の家に泊まるべきかどうか迷っています。2人とも結婚まで純潔を
守りたいと思っています。でも、できるだけ長く一緒にいたいんです。
どうするべきでしょうか。」(まき要約)
うんうん、そうやんな、久しぶりに会う愛する彼氏とは確かに出来るだけ
長く一緒にいたいよな〜。あ〜でもなぁ・・・
なんて、思いながら他の人のコメントを見てみた。そのうちの一つがこれ。
「え、なんで?好きなんだったら泊まったらいいじゃないですか?
もし万が一、最後までしちゃったとしても、それで罪悪感を感じるんだったら神様に謝ればいいんじゃないですか。愛なる神様だったら、きっと許してくれるはず。どうしても純潔を守りたいんだったら、
2人でそれを守れるようにって祈ったらどうですか。」って。(まき要約)みんなはどうかわからないけど、うちは目玉

が飛び出そうに驚いた。(大げさ?w)
書き込みをした人がどんな信仰を持ってるかは分からないし、別に
裁くつもりもないけど、ただ
神様が軽く扱われているようで悲しかった。神様が「ダメ」って言ってる領域に足を少しづつ自分で踏み入れ
ながら、で、もし失敗したら
「あ〜やっぱりあかんかったわ。祈ったのに
何でやろ。守ってくれへんかったんかな?はい、ごめんなさい。おわり」みたいな感じに聞こえてしまう。(あくまでもうちは、やけどね)
いや、泊まることが「罪」なんて言ってへんよ。ただ、時々
「神様がそうすることを『許して』くれた」とか「『道』が開かれたから』と言って
人間の失敗が、さも「神様の『失敗』」かのように思われることが嫌なだけ。状況が開かれた(この場合は、他に泊まる場所が全く見つからなかった、とか
一緒にいることに平安を感じた、だったり)からといって、全てが神様
の「御心」(神様がうちらにして欲しいと望んでること)とは限らへんと
思うな。
旧約聖書を見てみると、神様は何度も、人々が罪の道を歩むことを
許したと記されてる。じゃ、だからといってそれは神様自身が最初から望んでたことなのか?っていうと決してそうじゃないと思う。
もちろん、そのことさえも最終的にご自分の栄光に変え、ご自身を
表すために用いるんだけれども。
ほんまに神様から「導き」を求めるのって時にすごく難しい

罪深く
弱いうちらは、自分の感情や欲望にあっさり影響されるし。
でも決してできないわけじゃないと思う。
神様は色々な方法を用いてうちらに教えてくれるんだろうね。
例えば、
御言葉(聖書の言葉)神様ご自身が「こうしなさい」ってすでに言ってることに対して、
「どうしたらいいですか。」って祈るのは時間の無駄やね。
あとは、
祈りの答え、平安、状況などがある。そして、これらが一つだけ
より、多くあった方がより確信を持って何かを決定したり、行うことが
できると思うな。
でも、これらの「導き」を求める前にうちらがせなあかんことがあるんだって。
それは、まず
自分の心を探ること
本当に神様の道を歩みたいと思ってるのか。
本当に神様に従いたいと思ってるのか。
本当に神様を知りたいと思ってるのか。これらの土台がないと、いくら神様がこうしなさいって一生懸命示して
くれてても、時に盲目になって分からなくなるんだろうな。
うちがよくしてしまうことは、もうすでにばっちし自分の計画を立てといて
「はい、神様これ、お願いします。」ってな態度で祈ること。
いや、正確に言うと「神様の『御心』だったら導いて下さい。」って祈るんやけど
でも手にはちゃんと
「マキの計画表」を握ってたり。(反省

)
今年の夏のアメリカ行きがまさしくそんな感じ。もちろん祈っては
いたけど、チケットを取った時点で、もう行くのが当たり前と思って
「行かない」というオプションを勝手に削除してた。行くべきという
はっきりとした確信がなかったにも関わらず。
でも神様は色々な方法を通して、もう一度「神様の計画」を求める
チャンスをくれた。今回のことを通していかに
「神様に委ねる」=自分の
計画表を神様のもとにちゃんと持って行くことが大切かを思い知らされた。
そして、それがどれだけ深い喜びや平安をもたらすかも知った。
今は心の底から
「行かんくてよかった〜
」と思ってる。w
(もちろんマークの家族に会えへんことはめっちゃ辛いし、
アイオワの夏は恋しいけど・・・。)
神様から導きをもらい、神様をもっと深く知るには順序があるんだろうね。
「1*主に信頼して善を行なえ。
2*地に住み、誠実を養え。
3*主をおのれの喜びとせよ。
4*主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」 詩篇37:3,4うちにとっての大発見は「神様を自分の喜び」とすること。
「うゎ、神様に従ったら○○○○やし、(否定的なこと)嫌やな〜」なんて
態度じゃあかんことに気がついた。むしろ、神様はうちらに真実の
『喜び』を与えてくれることを期待せあかんねんなって。
上の例でいうと、「クリスチャンやし、人の目もあるし、やっぱ泊まらん方が
いいんかなぁ。でも一緒に過ごしたいしな〜。は〜っクリスチャンって
損やわ〜

」
ってな態度を持ってたら、神様の導きも曇って見えへんくなるかもしれんなぁ。
今日は、うちが最近毎朝ノアの授乳中に聞いている大好きな
KBF
(神戸バイブルフェロシップ)のメッセージから学んだことも踏まえて
書いてみたよ。よかったら、このメッセージも聞いてみてね。
(ちょい長いけど・・・)
愚か者の道vs神の導き次回は、育児(まきの理想論)を熱く語ってみようかな。w
暑いし、肩こりひどいから、今からマークとプールに行って来るよ

(ノアを交代で見ながらね。)
産後初のプールや。めっちゃ楽しみ〜